自分の経験を人に押しつけないで

辛い家庭で育った人に「私も親が嫌いだったよ…でも仲直りしたよ。○○さんにもきっとその日が来るよ」「親と仲が悪かったけど、だんだん親がしてくれた良いこと、親に感謝すべきことが分かるようになってきたんだ。○○さんもそうすれば?」などと言って、“励まそう”としたり“諭し”たりする人がいます。「どんな親でも子どもを想うもの」「やっぱり親子の絆が一番」といった「家族神話」の言葉が添えられることもあります。そうした“優しさ”が、言われた人の心をどれだけえぐり傷付けるか、本人でないとなかなか気づけないかもしれません。

虐待を受けた人たち、一人一人の被害経験は、一つとして同じものはありません。同じ身体的虐待や性的虐待などといっても、どんな言葉をかけられたか、どんなことをされたかは、みんな違います。それに対してどう感じたかも、当然一人一人違います。
そして、その後どう生きていくのが良いのかも、人によって違うと思います。

辛い親元で育った人たちには、色々な生き方をしている人がいます。親とすっぱり関係を切る人、親と仲直りする人、親に仕返しする人…同じ方法でも、うまくいく人もいれば失敗する人もいます。親と関係を断ったことで、後々損をする人もいるかもしれません。見かけ上は親と「仲直り」したといっても、実は虐待を受けた自分の心の傷にきちんと向き合っていないのであって、同じように虐待を受けた人に「仲直り」をすすめたり、上記の「家族神話」のような言葉をかけたりし、自分の考えを押し付けてしまう人もいると考えられます。「仕返し」については、かえって憎しみや「自分は何でもできる神様だ」という思い上がりなどを強くし、知らないうちに自分の心や人生を蝕んでしまう可能性が高いと考えられます。

何事も、自分が選びとった道がうまくいくと、それを人にも進めたくなることが多いと思います。でも、一人として同じ人間のいないこの世界で、そんなことは簡単にはできないのではないでしょうか。私も自分と同じ被害を受けた人に、SNSで告発したり社会運動に参加したりすることを強引にすすめたりはしません。
どうしても自分の考えを話したい場合は、「私はこうだった、それで今はこうしている」という形で伝えることはできると思います。それでも口調によっては「押し付け」になりかねないので、「○○さんには自分なりにいい道があると思うよ」などの言葉を添えるといいかなと考え、そう心がけています。
虐待に限らず、どんなことにおいても、先入観にとらわれないで相手の話をじっくり聞き、「この人はこういう経験をして、こういうふうに思って、このように行動しているんだな」と、しっかり理解し、必要に応じて言葉を語るように努めたいものです。

やまのむこう

遠山公子の、虐待や差別問題に特化したサイトです。性差別、児童虐待、キリスト教界における問題などについて発信。

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